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過去の日記 インデックス
子犬探し4 (生後373日)
2003,8,31
昨年9月1日深夜、メールを送ったあと、私は少し落ち着いてきたので、寝ることにした。
翌朝、目が覚めると、私はパソコンを開き、メールチェックをした。なんと、ブリーダーさんから返信が来ているではないか。驚いて、私は妻に、ことの顛末を報告した。妻は、私の勝手な行動を批判するよりむしろ、柴犬が見つかりそうだということに興奮してきて、ブリーダーさんに早く連絡を取ろうよ、と言い始めた。
私は妻にせかされるように、ブリーダーさんに電話をかけた。まだ、早朝の7時過ぎだったと思う。今考えると、ちょっと礼儀を知らない時間帯だったかな、と思うが、何せ犬を手に入れようという人々は、我々と同様に、興奮して余計なことを考えられない精神状態にあるのではないか。おそらく、礼を失した人が各ブリーダーに無茶なことをお願いしたりするケースは、古今東西多いのではないかと思う。
幸いブリーダーさんは起きていて、不機嫌そうな感じもなかった。そして、話はトントン拍子に進み、見学に行くことも決まった。自宅から浦和までそれほどの距離はなくて、よかったと思った。
早く子犬を見てみたいと思う、はやる気持ちを抑えて、仕事をしなければならなかった。
画像は今のカン。
子犬探し3 (生後372日)
2003,8,30
昨年9月1日、日中ペットショップ巡りで疲れた妻が早々に床についたあと、私はあきらめきれずに、パソコンに向き合い、インターネットを開いた。
「柴犬、ブリーダー」とか、「柴犬、ペットショップ、埼玉」などと打ち込んで、ヤフーやらMSNなどのサーチエンジンで検索をかけた。そして出てきたページをことごとく調べてまわった。
なかなか思ったようなページが出てこない。いらいらしながら、たぶん午前1時近くになっていただろう。
黒柴ボンは、静岡のブリーダー、といっても店頭販売も行う、中間的なところから購入した。今思えば、ボンは良質な柴犬だったと思う。私にはそのことが頭にあったので、埼玉にも必ずブリーダーがいるのではないかと思っていたのだ。ただ、HPを持っている人はそんなに多くはないとも思っていた。
しらずしらず、「柴犬のおやかた」のページと出会った。どうやってたどり着いたかまるで記憶にない。そこでさらに、衝撃的な画像に出会った。それが、下の画像である。私はこれを見た瞬間、柴犬の赤ちゃんに引き込まれていった。この写真から、生命の神秘と、いとおしさの感情に強くうたれた。実はカンがこの中にいたのだ。そして、オーナー募集と書かれていた。
それから、カンより2ヶ月、5ヶ月前に生まれた柴犬の赤ちゃんたちの画像を、それこそ隅から隅まで見た。この中には「しゃるる」ちゃんもいたと、あとで分かったのだが。
私は、一通り見たあと、何かに導かれるように、おやかたさんのところにメールを打った。妻にも相談せずに。
「埼玉県に住む者です。今妻と二人で柴犬を探しています。私が中学生の時から、4年前にその犬が死ぬまで、柴を飼っていました。今回生まれた犬のうちオスで生後40日目くらいから預かりたいのですが、可能でしょうか。また価格はおいくらでしょうか。血統書はついていますか。父親はどんな犬でしょうか。もしよろしかったらお知らせください。敬具」
子犬探し2 (生後371日)
2003,8,29
今日は一転、とても暑い一日だった。
そう言えば、昨年9月1日の日曜日も、同じような天気でだった。
我々夫婦は柴犬を探すために朝9時半に車に乗り込んだ。もちろんペットショップを調べておかないと路頭に迷うことになるので、タウンページやインターネットである程度目星を付けておいた。
先日訪れたペットショップははずして、近場から、メモしてある順に見てみる。なかなか柴犬がいない。また、柴犬がいたとしても、3ヶ月くらいになっている。やはり、小型のミニチュアダックスや、チワワなどが目立つ。
通りすがりに見つけたペットショップも、ひとりが運転席で待ち、もうひとりが様子を見てくるというスタイルでチェックした。
12時をまわったので大宮にある七福神というラーメン店が集まったところのうち、1軒でラーメンを食べた。食べたらすぐ出発。大手の「ペットの○島」や「ペットの○葛」ものぞいた。確かに柴犬はいたが、ハイプライスだ。そしてとうとう、春日部の柴犬専門店にも足を運んだ。そこには先客があり、我々の順番がだいぶん後になりそうなので、程なくそこを去った。
なにしろ、車を離れたあと、しばらくして戻ってくると、車内は猛烈な暑さだ。ダッシュボードに水滴を垂らすと、あっという間に蒸発してしまいそうなぐらいだ。日が西に傾いた頃、我が家に戻ってくると、夫婦ともぐったりだった。結局、最初のペットショップのものが一番いいのかもしれないね、などと話をしていたのだ。そこは8万円で売ってくれるという。(ちなみに黒柴ボンは昭和56年に、5万円で購入している)
どうしようか、途方に暮れてしまったのである。
画像は暑くてぐったりしているカン。エアコンの空気交換機の前の土の部分に穴を掘り、そこに寝ます。我々はエアコンが使えません。
子犬探し (生後370日)
2003,8,28
昨夏、8月末、近所のペットショップを訪れて、妻も私もついに犬を飼おうと決意をした。
犬種は、柴犬以外考えられなかった。私はかつて黒柴を飼っていたし、妻も犬と言ったら、柴犬だと考えていたのだ。
そこのペットショップで買わなかった理由は、まずそこのメスの子犬が2ヶ月を迎えようとしていて、我々の希望は、耳の垂れた、生後40日くらいのものをと考えていたので、条件が合わなかったことが一つ。それから、生理などを考えると、オスがいいのかな、と思っていたこともある。
今考えると、そこのペットショップの子犬はとてもかわいらしかったし、まるまるとして、母犬と暮らしていたことなどを考えると、悪くなかったかなあと思う。メスでも、避妊手術という方法があるし、散歩などオスより楽な面がある。
我々は、そこのペットショップが育てていて、子犬を産ませている母犬「あんず」が次に妊娠したら、一番に連絡してくれるよう頼んで、その店をあとにした。
その子犬2頭は、その後チェーン店の別の店に送られ、1頭は買い手がつき、もう1頭が店頭にいたところまでは知っている。
あの子犬は今、どうしているのだろうか。
画像は生後1ヶ月の頃のカンとクロベ。
涼風いーよ (生後369日)
2003,8,27
夕方になると、心地よい涼風が吹いてきた。カンは天候により元気度が違う。今日の夕方散歩は、はじけるように駆けだして、綱を持つ私は一苦労だった。
18時過ぎに出て行くと、帰りは19時前になる。ひと頃に比べ、日が落ちるのが早くなってきた。空には秋の絹雲が、夕焼け色にわずかに染まり、10分、20分経つに従い、薄闇の紺色に変わっていく。蝉の声よりも、草むらのコオロギの声が目立つようになる。蝙蝠が3〜4頭南の方角へ飛んでいくのが見える。
カンは、うんちをすると、少し落ち着いた。速歩で進む。
大陸には、秋の高気圧が顔をのぞかせ始めた。もう夏は戻らないのだろうか。関東平野の厳しい夏を、カンは経験できなかった。きっと来年はつらいかもしれない。
散歩から帰ってきても元気なカンは、家の中で一暴れ。
やっぱり涼風イーよ。
カン!吐く! (生後368日)
2003,8,26
今日カンのお散歩に行ったら、急に体が波打ち始め、
「うご!うご!うご!」
という、声なのか、体から出る音なのか分からない、変な音が出て、しばらくして吐いた。うごうご言い始めたときは、これはやばいんじゃないかと思い、そこから、いつも行く獣医さんは、歩いて5分くらいなので、抱きかかえて連れて行こうかと思った。
ゲーが出たので(道路上だったので当然始末した)、もう大丈夫かと思ったら、2〜3m歩くとまたからだが波打って、うごうごし、今度は少し少なめに吐いた。
実はその前に、下痢気味のうんちを2度していたので、お腹の調子を悪くしているんではと思った。
帰宅して原因を考えたが、思い当たらない。暑さのせいか(これが有力)、おとといのケーキの食べ過ぎか、フロントライン(のみ、ダニの駆除薬)を昨日付けたせいなのか。蚊取り線香の付けすぎか、蚊除けのスプレーを付けた私の手をなめてしまったためか、よく分からない。
夜、妻が散歩に行くと、よいうんちが出て、なおかつ元気いっぱいだった。夕食もちゃんと食べたそうだ。特に心配はないと思うが。
今日、YさんとダイエーVS西武に行って来た。西武がこてんぱに負けたので、このことについては書かないでおこう。
カン満1歳記念行事後夜祭 (生後367日)
2003,8,25
今日も関東地方は残暑厳しい1日だった。だがこの暑さも今日までで、明日からは秋雨前線に覆われるという予報が出ている。
思い出せば昨年の今頃も、残暑が厳しかった。ある日、私は家から歩いていける距離のペットショップに、ふと立ち寄った。思い返せば、これがカンと出会う最初の一歩だった。
その店内にはいろんな犬種の子犬がいた。中でも私は柴犬の子犬2頭に目を奪われた。両方とも茶色のメスだった。店員に聞いてみると2ヶ月弱だという。まるまるとして、ぬいぐるみのようだと思った。
それから3〜4日後、夕方妻と散歩をしているとき、思いついて、妻には行き先を知らせず、ペットショップの方へ向かった。それから誘って店の中に入った。
ちょうどその時、店では清掃と子犬の運動時間に当てていたようで、店のフロアーいっぱいに各犬種の子犬たちが、右往左往していた。妻は、その中で柴犬の子犬にしか目がいかなかったと、あとで述懐している。妻は柴の2頭のうち1頭を抱き上げた。この瞬間が、我が家で犬を飼うことが決まった瞬間であったといってよいだろう。
しかし、皆さんご存じの通り、この柴犬はうちに引き取らなかった。
その後の顛末は次回にしたいと思う。
祝!カン生誕1周年!(生後366日)
2003,8,24
おめでとう!カン君!
ごくろうさん!飼い主たち!
ありがとう!ブリーダーさん、近所の人やワンちゃん、犬仲間、ネット上の皆さん、はなとはなの飼い主さん、親族たち!
なんとか1年迎えることができました。
それにしても今日も暑かった。カンは囲いの中のわずかな土の部分に穴を掘り、そこに横たわっていた。午後になると、私の父がカンに会いに来て、お菓子を持ってきてくれた。我々飼い主もケーキを買って置いたので、一緒に食べ、カンにもかなり食べさせた。(今日だけだぞ!)
昨晩は深夜、近所の人が遅くまで起きていて、暑いので窓を開けていたため、人の動きがカンから見えたらしい。それでずいぶんけたたましく吠えていた。これじゃあ近所迷惑だろうと、2階につれてきて、ゲージに入れ、我々のそばで寝させた。1歳になっても手のかかる息子である。
カンは我々を癒してくれる。カンは我々の健康増進に役立ってくれる。カンは我々に夢を与えてくれる。カンは、ときおりおどけて見せて、笑わせてくれる道化犬。
これからも楽しくやろうね!カン!
お道化ても 寝ても吠えても 食べてても カンと一緒さ 今日も歩こう
カン生誕1周年記念式典前夜祭(生後365日)
2003,8,23
今日は二十四節気の処暑。暑さも引いてくるはずの頃だ。ところが各地で、この夏最高気温を記録する、暑い暑い一日だった。ただ、高校野球も今日で終わり、秋に向けて徐々に季節は進んでいくだろう。
今日は生誕一周年前夜祭ということで、カンの両親に挨拶に行った。母犬「あやめ」(画像)も父犬の黒柴「三郎」も、暑い中、舌を出してハアハアしていたが、元気そうだった。「はな」の父犬「光」、母犬の「桜子」も同様に元気だった。
私にとってブリーダーさんのところは楽園だ。犬を見ているとついつい時間が経つのを忘れてしまう。今日は生後四十日くらいの子犬も見せてもらった。カンにもこんな頃があったんだなあと、しみじみ懐古した。
さて、午後はカンを明日に備えてシャンプーした。いつもは絶叫して嫌がるのだが、今日は、案外気持ちよさそうだ。やはり暑くて、水浴びが気持ちいいのだろう。
乾いたあと触ると、小さな毛が無数に舞い飛んだ。カン毛未だ終わらずである。
前夜祭と銘打っても、結局何もしなくって終わりそうな、一日でした。
コスコス (生後364日)
2003,8,22
今日も真夏の陽気だった。
カンの様子を見ていると面白い。陽が当たるところを避けて、横になる。日中は食べないし、動かない。夕方の散歩も、30分以上歩くと、家に戻りたがる様子も見られた。
夜になって元気が回復してくると、家の中に入る。階段を登れるようになったので、2階でも元気よく駆け回るが、面白いのは、我々の枕に体をこすりつける動きが見られることだ。
我々はこれをコスコスと名づけた。
「おーい、カンがコスコスしてるよ」といった感じだ。
枕は結構匂いがつくものだ。だから、自分の匂いも付けときたいと思うのか。それとも手頃な大きさで、遊んでいるだけなのか。
妻は、カンがこすった枕じゃ眠れないといっていたのに、枕カバーを洗いもせず、昨日もその前も、そのまま寝ていた。カンと一緒に寝ている気分じゃないと、からかうと、妻は半分あきらめ顔だった。
カンの瞳 (生後363日)
2003,8,21
今日は久しぶりに晴れた。遅れてきた夏、というよりも、もう残暑だ。
カンの階段トレーニングが進み?、今ではときどき自分から階段を登り降りするようになった。最初はお尻を押したり、大変だった。
でもどうして階段なんか登らせなきゃいけないのだろうか。自問自答したくなる。飼い主が愉快だから?カンが何かの時に2階へあがれるようにするため?
犬は、しつけられて初めて犬になると、どこかで読んだことがある。全くその通りだと思う。人間社会の中でやって行くにはそれしかない。
でも、さらに人間たちは、欲張った要求をする。人間そのものが、社会の中で管理され、良い子でいることを強制され、自由気ままに振る舞えない中、愛犬にだけは、好きなようにさせてやりたいと願う。管理されたお利口さんには飽き飽きだ、というわけだ。だから、犬が自己主張したりすると、かわいい〜、なんてことになる。
犬に人間を投影するのは、犬の気持ちからするとずれていると思う。でも・・・・
カンはときどき我々飼い主の方をじっと見つめることがある。そのつぶらな瞳は、一体何を言いたいのだろうか。
ピー君飼い主を待つ (生後362日)
2003,8,20
今週、来週はカン生誕1周年記念祭として、日々のカンの姿を記録したいと思う(といってもそれ以外の時期もカンのことばかりだが)。
今日も夕方、妻の原付バイクの音が遠くからすると、カッと立ち上がり、じっとその方向を見つめる。画像はその様子だ。帰宅して妻が家の中にはいると、ガラス戸をバタバタ叩き、散歩に連れて行ってもらえるまで、ふいんふいん鼻を鳴らす。これがぴーぴー笛が鳴っているように聞こえる。だから今日はカンの名はピー君となった。
思えば、カンがまだ家の中で飼っていた生後3ヶ月くらいの頃、我々飼い主はカンの状態がつかめずに、ぴーぴー言うたびに、深夜でも下へ降りて様子を見たものだ。あるとき私は、ぴーぴー聞こえたような気がして、下へ降りたところ、ぐっすり丸くなって寝ていたことがあった。空耳だった。それからもときどき空耳が聞こえた。それくらい気になっていたと言うことだろう。
私が朝出勤するとき、車がぶうう〜んとでたあと、カンはやはり鼻をならすらしい。
でも、こんな風に甘えてくれるからかわいさもつのるのかもしれない。
夫れ!カンウン大盛りぽんと出た!(生後361日)
2003,8,19
今日も1日仕事を終えて、カンと散歩に行くと、涼しい夏とは言え、だいぶ汗をかく。でもこれが自分とカンの健康によいのだと自己満足している。
カンがいいウンコをたっぷりすると、こっちも気分がいい。今日はほどよい固さと色のものがたくさん出て、よい状態にあるんだと確認できた。
ただ、カンのウンコを拾うとき、風向き次第で、ぷう〜んと匂うときは、たまらない。おぇっと、息を止めながら持参のビニール袋に入れるまでは我慢だ。この間カンはじっとしている。学習した様だ。「さあ行くぞ!」というとスタスタ歩き出す。
しかし、してやられることもある。
今日は、夜室内に入れていたら、ほんの2〜3分目を離したすきに、図書館で借りてきた本の隅っこを食いちぎってしまった。私が駆けつけると、悪いことをしているという自覚があるせいか、30僂らい、ぴょんと後ろに飛んだ。妻が駆けつけて、また説教を始めると、神妙に聞いていた。
いつもは家の中のものには口を出さないのになぁ・・・
今日も楽しい?カンとのひとときでした。
家政婦は見た! (生後360日)
2003,8,18
いよいよカンの誕生日まで1週間を切った。なんとかここまでこれてホッとしている。
カンが来た頃は、カンの一挙手一投足に注目が集まり、どうやっていいか不安がずいぶんあったものだ。今はホントに安定している。
カンの散歩から帰り、食事も済ませ、我々飼い主ふたりがリビングのソファでくつろいでいると、カンが我々の様子をじっとうかがっている。(画像)我々はこれを「家政婦は見た!」状態と名づけている。「なになに、なにしてんの?」「中に入れてくれないかなあ〜」と、こんな感じで思っているのだろう。
さらにそう言った衝動が強まると、ガラス戸をバタバタさせる。しょうがないから少し入れてやる。中にはいると、駆け回って大はしゃぎ。しばらくすると飽きて、外に戻ろうとする。毎日その繰り返しだ。
それにしても昨年末、外で飼い始めた頃に比べると、バタバタガラスを叩く姿が、ずいぶん大きくなったなあと、カンの成長に満足するのでした。
宗次郎 (生後359日)
2003,8,17
今日は午前中仕事で、帰りがけに食べた、かなり強烈な豚骨と油のラーメンにあたってしまい、午後はう〜う〜唸りながら横になっていた。
天気も相変わらず薄ら寒くどんよりとして、ますます胃腸の不快感がますばかりだった。
ということで、少し心を穏やかにしようと、宗次郎の『木道』というアルバムを取り出して聞いてみた。
宗次郎はオカリナ奏者である。オカリナは自分で作っているという。前TVで彼の、郊外にある工房を見たことがある。自然のサイクル、リズムに調和し、共生するコンセプトが彼の信条だ。この『木道』はもう13年くらい前に出たものだが、彼の代表作といってよい森をテーマにした作品だ。
一度彼のコンサートに行ったことがある。13年前で、ちょうど私が体調を崩していた頃だったためか、すごく癒された記憶がある。今も各地の文化会館、市民ホールをまわっていると思うので、是非見て欲しい。
カンは、ここ2〜3日階段を登らせるトレーニングをした。ゆっくりと下ることはできるようになったのだが、登るのは嫌がる。床が滑りやすいせいかもしれないし、カンが恐がりだからかもしれない。
レッズ快勝 (生後358日)
2003,8,16
一日中陰鬱な雨が降り続けた1日だったけれども、埼玉スタジアムだけは別世界のように輝いていた。ピッチ上は滑りやすく、パス回しを得意とするジュビロ磐田にとっては不利だったかもしれないが。
今日7時から行われたJリーグ、セカンドステージ初戦に行ってきた。雨の中4万人近い人々が足を運んだ。ほとんどがレッズファンだ。結果、3対1でレッズが勝利した。
エメルソンはコンディションが良さそうで切れていた。2得点。とにかく早い。ロシアから来たニキフォルフ(昨年のW杯日本戦も出場)は高く、強かった。坪井は足が速く、安定していた。山田はサイドから果敢に攻め、ケガから復帰間もない山瀬も時折ひらめきのあるパスを出していた。前後半とも終始レッズ優勢だったと言っていいと思う。ジュビロはゴンがケガで欠場。藤田が欧州に移籍で、チーム状態は下降気味のようだった。
第2ステージこそ優勝を目指して欲しい。それが実現できる面子はそろったように思う。11月の終わりの鹿島戦もチケットを取ってあるので、そのころには優勝を決める戦いであって欲しいと願う。
そして戦争が終わった (生後357日)
2003,8,15
終戦記念日である。
各メディア、団体がこの日の歴史的位置づけに苦慮している。単純な善悪だけでは片づけられないことが、大東亜戦争には多い。
ただ言えることは、戦前の日本の指導者たちは、多くの国民、アジア人、欧米の兵士などを死に追いやり、多くの財産を消失させた責任からは逃れられないだろう。
この戦争は、世界史から見れば、欧米の帝国主義戦争であったともいえる。特にアジアにおいてはそうだ。また、日本が卑怯だったかどうかと言えば、確かにパール・ハーバー奇襲はそうかもしれないが、アメリカの原爆使用、ソ連の不可侵条約無視の侵攻と、北方領土占拠も同罪だ。
いずれにせよ、戦争にルールはないようである。
私の親族に、終戦時の首相、鈴木貫太郎家と縁のある一族に嫁いだ人がいて、鈴木貫太郎に興味がある。昭和天皇が亡くなられた日、深夜、「そして戦争が終わった」というドラマをやっていた。この終戦時の首相が主人公で、じっくり見た記憶がある。どうもある種のロマンチシズムに浸りながら、この時代を見てしまいがちだが、冷徹に功利的に解釈することも必要だと、今となると感じる。
画像は野付半島から見た、国後島。
窓の外は雨 (生後356日)
2003,8,14
今日は1日中雨だった。気温も日中20℃を下回り、秋雨のようだった。
こんな中、朝は小雨だったので自転車で、夕方は歩きで、カンの散歩に行った。
夕方は、ずいぶん雨も強くて、カンも私もびしょびしょになってしまった。
朝は、散歩に行った直後からきゅんきゅん鳴く。なぜ?と思い中に入れてみると、急に興奮して走り回り始めた。どうも雨で散歩コースを短くしたので、体力がありあまっているようだ。
でも、このようにすることがあればましな方だ。今日はせっかくの休暇だったのだが、こんな雨ではどこにも行けず(行ったのは電気店にプリンターのインクを買いに行き、ついでに牛丼を食べた)、家の中で、文藝春秋(芥川賞受賞の『ハリガネムシ』吉村萬一作が載っている)を読んだり、インターネットを何ともなしに見ていた(ネットサーフィンというよりネット漂流)。「小人閑居して不善を為す」というが、こう何もすることがないと、『ハリガネムシ』の主人公みたいに、墜ちていく一方なのでは、と思ってしまう。ただこの作品はちょっとお下劣で、暴力描写が激しく、私の好みではなかったけれども。
明日はまた仕事。これから1日おきに仕事が続く。
それでも夏休みは良いものだ。
8月の光 (生後355日)
2003,8,13
『8月の光』とは、ウィリアム・フォークナーという、アメリカのノーベル賞作家の作品である。フォークナーは日本ではあまり知られていないが、実はヘミングウェイと並ぶほど本国では有名だ。
私はヘミングウェイよりフォークナーの方が好きだ。地味だけど、実験的だし、何より主題が良い。この作品は黒人の血が混じっていると噂される男であるジョー・クリスマスが、自分の存在意義を見失い彷徨い歩き、最後はリンチを受けて殺されるというのが一つ。そしてもう一つの柱は若い女性であるリーナ・グローブが自分を捨てた男を捜しつつも、自立して歩いて行く姿である。この二つの柱を中心に、アメリカ南部のジェファスンという架空の街の風土と溶け合って不思議なイメージが生まれてくる。
初めて読んだ学生の時、ヘミングウェイのようなものを想像していたので、この泥臭くアバンギャルド(前衛的)な小説に衝撃を受け、すごみを感じた。
他に『アブサロム・アブサロム』や『響きと怒り』などがあり、いずれも南部の一地方が舞台となっている。
先日の朝日新聞に、中上健次(小説家、既に亡くなる)がフォークナーを大変評価していたという記事が載っていた。この作家も南紀の一地方を舞台に小説を書き続けた人だ。
今日は一日曇りベースの天気だったが、時折8月の光が顔をのぞかせた関東地方であった。
PS・・・昨日獣医さんに行き(9.2kg)、フィラリアの薬をもらってきたので、今日飲ませた。
画像は北海道、小清水原生花園の「カワラナデシコ」
あの日、静岡で (生後354日)
2003,8,12
18年前の今日、日航機の墜落事故が起こった。
ちょうど私は夏休みで東京、阿佐ヶ谷から帰省して静岡に戻っていたところだった。夜になって飛行機が群馬の山中に落ちたとニュースで聞いた。
この飛行機の中には、私がとても好きな歌『上を向いて歩こう』を歌った坂本九氏が乗っており、帰らぬ人となってしまった。先日のNHK「思い出のメロディー」を見ていると、作詞者の永六輔氏を中心に歌われているのを聞き、感慨深いものがあった。
あのころはボンも5歳くらいで、まだまだ元気の盛りだった。高校野球を見ながらスイカを食べて、試合が終わったら、夕方、ボンと一緒に走っていた。(画像のボンは1〜2歳の頃のものだと思う。)
静岡といえば、今日私の母校が甲子園で緒戦を突破した。危うい逆転サヨナラ勝ちだった。仕事の合間にちらちら見たが、やはり野球の伝統校とはいえ県立高校。野球を真に理解しているとは思えないプレーもあった。もちろん後輩たちは一生懸命やっていて、責められるべきことは一つもない。ただ、今はどんなスポーツでも、野球でいえば、PL学園、智弁和歌山、横浜、明徳義塾などの超一流校に集まる選手たちは、その競技を知り尽くしている。野球偏差値が他校とかけ離れて高い。こういった学校に勝つには時の運が味方しないとなかなか難しいのだろうと思った。
とにかく久しぶりに校歌が聞けて良かった。
長崎の鐘 (生後353日)
2003,8,11
1945年8月9日午前11時、長崎に原子爆弾が投下された。広島型とは違うプルトニウム爆弾であった。多くの人間が犠牲になり、今なお有形無形の後遺症に悩む人も多い。
昨年、8月上旬に長崎に行った。原爆資料館を見たが、1時間ほど見学して、妻も私も気分が悪くなってしまうほどであった。
長崎は戦国時代からキリスト教の信仰が根強い地域で、浦上天主堂などの歴史的建造物も多い。そのような和洋折衷の光景に、原爆の悲劇は影を落とす。
かつて、『裸足のゲン』という映画を、実写版で見たことがある。小学校4年の時だった。やはり暑い夏のことだった。私は見たあと2〜3日よく眠れなかった。被爆者の生々しい傷跡。やがて死んでいく登場人物たち。放射能、放射線の目に見えない恐怖が、私にしばらくつき纏った。
必然的に世界最終戦争の恐怖へと私を駆り立てた。神経が鈍磨してきた最近はあまり感じなくなってしまったが、もしかしたら今の方が核戦争の危険性が強いかもしれない。
『長崎の鐘』は藤山一郎の名作だ。かつて祖母とNHKの『思い出のメロディー』を見ていたら、ラストがこの曲だった。祖母は、感慨深く聴いていた。
その祖母は、昭和63年、昭和天皇が亡くなる4ヶ月前に、この世を去った。
ふたりの想い (生後352日)
2003,8,10
ここのところペリー来航以来の歴史の読み物を寝る前に読んだ。
ちょうど広島、長崎の原爆投下の日、そして15日の終戦記念日と、お盆という時期も重なり、戦争で犠牲になっていった人々に思いをはせることが多くなる。
江戸時代の太平の世から、ラックスマンの根室来航よりじわじわ世の中が変わり始めて、ペリー来航で、一気怒濤に大変革に突入する。特に幕末から西南戦争あたりまでは、多くの若者が歴史の中心に立ち、日本を動かしていった。皆20代、30代である。
ちなみにフランス革命の時もこのような年代の人々が国を動かした。
さて、若干30歳で安政の大獄に死んでいった吉田松陰の辞世の歌を紹介する。
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽(くち)ぬとも、留置(とどめおか)まし 大和魂」
日本のためになら、命も惜しまないという心意気が伝わってくる。
さて、もうひとり、明治の詩人、石川啄木の歌である。彼は27歳で結核のため亡くなった。
「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思う」
彼はこの世界に何かを成し遂げて、そして死んでいきたいと考えた。
このふたりの想いは果たされたのであろうか。歴史のみが答えを知っている。
たまたま時代劇の『大奥』に妻も私も夢中になっている。幕末の悲劇である。時には歴史から何かを与えてもらうのもいいことだと思う。
今日は台風一過、暑かった。画像のエゾキスゲの花を見て涼をとってください。
ダカンク、家の中に避難 (生後351日)
2003,8,9
昨晩から、台風接近の報を聞き、カンを家の中に入れた。夜中は家の中においたゲージの中で寝させたが、それまでは家の中を悠然と歩き回った。
今朝は、雨の止み間があったので、散歩に行くことができた。しかし、10時頃からだろうか、雨まじりの強風が吹き付けるようになってきた。一旦外に出したカンをすぐあげて、廊下に避難させた。どうもカンの囲いに付けた屋根に自信がないのだ。これだけの強風が吹くと、吹き飛ばされてカンに危険が及ぶような気がしたのだ。
カンは昼過ぎからずっと廊下で寝ていた。(画像はそのときの様子だ)17時くらいになってやっと目が覚めてきたのか、のそのそと家の中を動き回り始めた。
夕方の散歩は雨が完全に上がった夜7時半から妻と二人で行った。台風が去って嬉しかったのか、ぐいぐい引っ張って歩いた。
ところで今日カンの体重を計ってみたところ、9.0kgしかない。1か月で500g落ちてしまった。確かにここのところ暑くて小食になっている。今日は廊下に2カ所嘔吐物があった。
ちょっと心配である。
サザンの思い出 (生後350日)
2003,8,8
昨日の日記で甲子園の思い出を書いたが、サザンオールスターズは私が高校生の頃も全盛だった(もちろん今もすごい)。
最も思い出すのは、高校3年の時に流行っていた『ミスブランニューデイ』だろうか。文化祭のキャンプファイアーの時、誰からともなく歌い出した。
でも高校の時には一番好きだったのは『海』だ。下田に合宿に行ったとき、伊豆の海岸線を見ながら心の中で歌ったのを思い出す。そう言えば『エマノン』もこの頃だ。
大学生になると『松田の子守歌』をクラブのみんなで歌うことが多かった。だからこの時期はこの歌が一番印象に残っている。
もちろん『いとしのエリー』や『勝手にシンドバッド』もいいと思うし、私がカラオケでよく歌う『oh!クラウディア』もいい。しかし、感心したのは、数年前に『ツナミ』がヒットしたことだ。もうデビューして何年になる?これだけ長い間人々に愛され、才能も枯渇せず、マイペースで活動を続ける彼らには本当に敬意を覚える。
昨晩寝る前に『バラッド』というアルバム(一番古いもの)を聴いた。久しぶりで、とても懐かしかった。
夏のクラクション (生後349日)
2003,8,7
台風が近づいているが、まだ関東地方は影響を感じることはない。今日も30℃を超え夏らしい1日だった。
夏をイメージする音楽というと稲垣潤一の『夏のクラクション』を思い出す。ちょうど高校3年の頃にはやっていたと記憶している。切ないバラードの曲調で歌詞も良い。
海岸沿いを通る国道を、まだ学生の頃地元静岡に戻った時に、カーステレオでこの曲をかけながら、当てもなく1人でドライブした夏休みを、ふと思い出す。むろんこの曲は私のカラオケの18番のうちの一つだ。
夏をイメージする曲は他にもある。松田聖子の『夏の扉』『マイアミ午前5時』『セイシェルの夕陽』、杉山清貴とオメガトライブの『ふたりの夏物語』。たしかこれは大学1年の時のヒット曲だった。
そう言えば今日、高校野球の夏の大会が始まった。私の母校が出場している。高校1年の時には甲子園に応援に行った。私が3年の時には予選でコールド負けした。野球部の友人が泣き崩れていたのを思い出す。
甲子園大会が終われば、もう夏も終わりを迎えることだろう。
画像は北海道の海沿いの道で咲いていたハマフウロ。
森の精霊 (生後348日)
2003,8,6
今夜NHKで沿海州に生き残る(300頭ほど)アムール虎とその他の動物たち、ツキノワグマ、イタチ、クロテン、キツネ、ヘビ、鹿などを特集した番組を見た。
先日行った北海道の、日本海を挟んだ反対側の地域に、まだ虎がいるなんて驚いた。また、その風景は、先日訪れた知床の原野によく似ていた。(画像は知床五湖のうちの2湖)
この地域はロシア領だが、住んでいる人の中にはモンゴロイドの人たちも結構いる。番組で紹介されていたのは「テゲレ族」という狩猟民族だ。彼らは森からの贈り物である動物たちを、自分たちの食べる分しか捕らない。そして祭りの時や猟に出るときは、シャーマンたちが精霊を呼び出し、ともに踊ったり歌ったりする。先日見てきたアイヌ文化に酷似する。さらに衣装の模様や、色遣いもアイヌのものによく似ている。むろんアイヌ人も狩猟民族だ。ただ北海道には虎はいないけれども。テゲレ族は、虎の精霊を最も重要視していた。
夏の夜に散歩に出かけると、時々大きな木が風にゆられて、ざわざわと音を立てることがある。こんな時私は、木は生きていて、魂が宿っているのだと感じる。えもいわれぬ不思議な感覚に時として陥るのだ。
かつて弥生人たちは、畑を作るのに、森を全て切り開かず、一部原生林を残した。それが今の神社の(鎮守の)森である。全て切ることは、精霊の住処を奪うことになると考えたのだという。
世界中でアニミズム(様々なものに霊が宿るとする考え方)が復権している。「となりのトトロ」「もののけ姫」など宮崎駿氏の作品群。「ハリー・ポッター」シリーズ。「ロード・オブ・ザ・リング」など、太古の昔の記憶をよみがえらせるようなものが、今現代の文明人の胸を打つ。
自然に対して、科学的にあたることよりむしろ、畏敬の念を持って同化することを考えることが、私は好きだ。
ダカンク雷鳴に鳴く (生後347日)
2003,8,5
帰宅した頃は雨、風、雷がピークを迎えていた。やはりカンが気になって家路を急いだ。
近くの川は、あと1m水かさが増せば氾濫といった水位になっていた。
土砂降りの中車を入れると、ダカンク(ダパンプに由来したカンのあだ名の一つ)はのびをして私を出迎えた。囲いの中はもう雨でびっしょりだ。あとで見ると小屋の中にも雨が吹き込んでいた。私があわてて荷物をもって玄関にはいると同時に、すぐ近くに雷が落ちた。轟音である。と同時にカンが「ヒヒヒィ〜ン、ウィ〜〜ン」と鳴いた。
さらにもう一発雷が落ちると、また「ヒヒヒィ〜ン、ウィ〜〜ン」である。どうも私が帰ってきて家の中に入れると思ったのか、甘えの感情が湧いて出てきたらしい。それまでは小屋の中で寝ていたようなのだ(のびをして出迎えるときはだいたいそう)。
私も甘いから、すぐさまカンを家の中にあげると、足跡だらけになってしまった。
おまけに2階に上がると、網戸にしておいたところが3カ所あり、水浸しのプール状態だ。私は少し泣きが入ったが、カンをゲージに入れて、2階のプールの水を、布を大量に用意して吸い取り、カンの足跡をふき取り、汗だくになったので着替えをした。
なんとか家の中はきれいになった頃妻が帰宅した。
画像はゲージの中のダカンク。
カンカン照り (生後346日)
2003,8,4
今日も暑かった。熊谷では36.6℃。ここからそう遠くない伊勢崎で38℃を超えたという。
朝から暑くて、7時前にカンの散歩に行った頃から日差しが刺すようであったが、それでもまだましで、夕方の散歩は今年最も暑く感じた。18時過ぎに出発したが、30℃近い温度と高い湿度に悩まされ、カンも、最初こそスッタカ走り始めたが、ほどなく口を大きく開けて、舌べらをだら〜んとぶら下げてハアハア言いながら歩くようになった。
途中私は何となく気分が悪くなり、めまいを感じた。まさか熱中症?と思いコースも昨日同様ショートカットして、約30分であがった。散歩から帰ってきても、気分が優れなかったが、カンもへたり込んでしばらくハアハアしていた。
カンの食が細いのも相変わらずだ。それでも夜になるとカップ2杯くらいドッグフードを食べる。
この暑さ、どうも今日がピークらしい。明日からは曇りがちになり、3日くらいすると台風が来るかもしれぬという。
今年の夏は短くなりそうだ。
画像は北海道オンネトーの風景。左が雌阿カン岳。右が阿カン富士。
夏の花火 (生後345日)
2003,8,3
昨晩、私の住んでいる市の花火大会があった。
大会が実施される河川敷まで3〜4kmなので、家の前の道まで出ると花火が見学できる。ということでカンを連れて見に行ってみた。
昨日関東地方も梅雨が明け、今日は熊谷で35℃まであがり、やっと夏らしくなった。いつもの夏のように暑いと、早く涼しくなればいいのにと、毎日天気予報をチェックするのだが、今年のような冷夏だと、今日のような暑い一日が逆に恋しくなる。昨日今日とやっと待望の夏の日和だ。
昨日の花火も蒸し暑さの残る夕方だったから、情緒があった。半ズボンにサンダルで、暑いね〜なんて言いながら夜空に舞う花火を見るのがやっぱり乙なものだ。
カンも日中暑さのせいかものを口にしない。ただ、今日は私の両親が来て、あれこれ犬用お菓子を食べさせていたのだけれども。
画像は、生理中なため、ベランダ犬になっているはなだ。実ははなの飼い主二人とも手を怪我していて大変だ。はなも何となく落ち着かないことだろう。
ミームとジーン (生後344日)
2003,8,2
人間はDNAの遺伝子である「ジーン」だけで後世に自分の痕跡を残すのではない。
最近の進化生物学の世界では「ミーム」というもう一つの遺伝子が注目されている。
「ミーム」は「文化遺伝子」とか「模倣子」などと訳されるが、要するに「文化」のことで、人間が後代の人間に言葉や行動で伝え残していくものだ。言葉を筆頭に、衣服、食事、農業などの生産方法、コンピューターの技術などがあげられる。
だから人間は、親が子に教える、職場の先輩が後輩に教える、学校で先生が教える、地域の社会で年配のものが若い者に教えることが、重要になってくるのだ。
私のように直接の子孫がいない人間が後代に残すことができるのは、この「ミーム」しかない。職場での仕事を除けば、このHPに書いていることは私のささやかな「ミーム」だといえる。私が生きた痕跡がここに残される。
ただ、今や人間はあまりに多方面にわたる細分化された「ミーム」を持ちすぎていて、数人くらいの人間が生き残ったとしても、「ミーム」の集合体である「文明」は残っていかないだろう。ナノテクノロジーについてどれだけの人が理解しているだろう。少なくとも私1人ではパソコンは作れないし、テレビですら無理だ。
一方で消えていく「ミーム」もある。先日紹介したアイヌ文化(画像は屈斜路湖畔のアイヌの古い民家と、奥は民俗資料館)などはその一例だ。アイヌ文化に限らず日本国内にある古いものは、後継者の不足、利用価値の低下などによって絶滅しつつある。
最後に、「ミーム」は人間の「意識」によって生み出されるという。「意識」とは何か、知覚系と記憶系の奇妙なバランスの中で生じた「意識」の問題は、古代のインド、ギリシャ、中国の哲学者たちをはじめとして、現在でも認知心理学者や脳学者などの頭を悩ませているのだそうだ。
ニッチ構築 (生後343日)
2003,8,1
先日、キタキツネ(画像)の一部が人間によって飼い慣らされて、営業しているということを書いた。つまり、人間の作り出した環境に適応するキツネが生き延びていくという可能性があるということである。
本当の野生は今や少なくなってきている。ちょうど北海道に行っているときにNHKで夜の11時からほ乳類に関する動物の番組をやっていて、見た。ロンドンでは夜キツネが徘徊するという。ニューヨークではアライグマがかなり生息しているという。都市という人間が作り出した環境に適応した動物たちだ。
人間の作り出した環境に適応しているといえば、柴犬とて同じこと。人間の好むように改良され、人間の好む犬が、遺伝子を残すことができる。ただこれは、犬が狼から分かれた1万2千年前から同様だ。
植物とて同じこと。パンジーなどは春にしか花が咲かなかった。しかし今では1年中咲く。春でなければ受粉を媒介する昆虫がいないので、春咲くわけだが、今やパンジーは人間の手によって交配されるので、春に咲く必要がなくなったわけだ。
私が最近興味を持った概念に「ニッチ構築」というのがある。新聞に説明されていたのだが、その定義とは「生息環境(ニッチ)の中で自然淘汰の要因を自ら変える、そのような生物の働き」だという。古くは、ビーバーがダムを造りそれ自体が環境を変え、それに適したものが生き残るということ。他に蜘蛛や鳥の巣などもこれに当てはまる。
人間の場合特に顕著だ。人間が作り出した環境に適応した人間が生き残り、遺伝子を残す。自らの種が作った環境にますます合った遺伝子が残り、それに沿った進化が進む。
何か恐ろしい話だ。多様な遺伝子が残ることが良いことでないと、私のような取り柄のない人間が生き残る根拠が失われてしまうからだ。
カンだって同じ思いだろう。